中性子爆弾:そのしくみと作られた理由
中性子爆弾には、実態にそぐわない評判がついて回ります。1970年代の新聞は、人だけを殺して建物を残す兵器、財産を守る資本主義の爆弾と書き立てました。現実はもっと狭く、もっと奇妙なものでした。エネルギーの異常に大きな割合を中性子の奔流として放つように調整された小型の水素爆弾で、都市を破壊するためではなく、戦車部隊を止めるために作られたのです。
何が違うのか
通常の核爆発では、エネルギーはおおよそ次のように分かれます。約半分が爆風に、約3分の1が熱と光に、5%前後が初期放射線に、残りが放射性降下物と残留放射能になります。大型兵器では放射線はほとんど問題になりません。致死量を浴びるほど近くにいる人は、すでにすべてが押しつぶされ焼き尽くされる区域の中にいるからです。
中性子爆弾の正式な名称は放射線強化兵器です。典型的には1キロトン前後の小型の2段式熱核装置で、核融合段から出る高速中性子が吸収されずに外へ逃げるように作られています。設計者は、通常なら核融合燃料を包んで威力を上乗せする厚いウランの外被を取り除き、中性子を通す材料を使いました。その結果、爆風と熱は控えめでありながら、ガンマ線よりも鋼鉄や土を通り抜けやすい、強烈で短い中性子のパルスを放つ兵器ができあがりました。
軍が欲しがった理由
この着想は1950年代の終わり、ランド研究所の物理学者サミュエル・コーエンから生まれました。当時のNATOの計画立案者は、数千両のソ連戦車が西ドイツになだれ込む事態を想定していました。戦車の装甲は乗員を爆風や熱からよく守りますが、中性子は装甲を通り抜けます。少数の小型放射線強化弾頭があれば、装甲部隊の乗員を無力化しつつ、防衛する側の国の町への爆風被害を抑えられます。その町とは、結局のところ同盟国の町でした。
1キロトンでさえ、核兵器の放射線の輪は強い爆風の輪より外まで届きます。シミュレーターのモデルは、通常の1キロトン空中爆発について次の半径を示します。放射線強化兵器では、放射線の輪はこれよりかなり外まで広がります。
この逆転こそが設計の狙いです。そしてこれは神話の正体も明かします。中性子爆弾は建物を無傷で残す兵器などではありませんでした。爆心から数百メートルの範囲では、爆風と火災がやはり普通の家をなぎ倒します。「クリーン」だったのは、同じ任務に使われたであろうより大きな通常の核兵器と比べての話にすぎません。
政治の嵐
1977年、ワシントン・ポスト紙の記事が、アメリカが放射線強化弾頭をヨーロッパに配備する計画だと明らかにしました。反発は鉄のカーテンの両側で激しいものでした。ソ連のプロパガンダはこれを究極の資本主義兵器と呼び、西ヨーロッパでは数十万人がデモに参加しました。1978年4月、ジミー・カーター大統領は生産を延期します。1981年にロナルド・レーガン大統領がこの決定を覆し、弾頭は製造されましたが、ヨーロッパではなくアメリカ国内で保管されました。
アメリカの型は二つありました。ランス・ミサイル用のW70 Mod 3と、8インチ砲弾用のW79です。フランスは1980年代に独自の設計を実験し、ソ連も同様の兵器を開発したと見られています。冷戦が終わるとアメリカの弾頭は撤去され、最後のものは2000年代初めまでに解体されました。
今も話題にのぼる理由
中性子爆弾は、くり返し戻ってくる一群の発想に属しています。戦場で使えるほど小さく、あるいは精密な核兵器という発想です。低威力の弾頭は今日ふたたびいくつかの国の核戦力に組み込まれており、そうした兵器が核戦争を起こりやすくするのかという1970年代の議論は、まだ決着していません。小型兵器が大型兵器とどれほど違うふるまいをするかを見るには、シミュレーターで1キロトンと1メガトンの爆発を比べ、どの輪がいちばん外側に来るかを確かめてください。設計のより広い原理は水爆と原爆の違いで説明しています。